日本トンデモ祭り         

10月22日 鞍馬の火祭 (京都)


いわゆる「京都三大奇祭」のひとつ(ちなみに後の二つは、「やすらい祭り」と「牛祭り」)。
しかし、それほど変な祭りではない。
このコーナーで取り上げている変祭・奇祭の数々を見ると、この「火祭」は顔を赤らめるだろう。
熱さ、迫力、理性を超えた異様な盛り上がりぶりは一級品で、それだけでも見る価値はあるのだが。

要するに、松明を担ぎ、一晩中延々と練り歩くのだ。
変といえば変なのは、「チョッペン」という儀式。
これは、ふんどし姿の男が、神輿のしんがりを掴んで逆立ちし、大股開きするというもの。
大人になるための儀式というが、これほど情けない「儀式」もまたないだろう。
しかし、そう思うのは我々部外者だけで、現地ではそう受け止められていないのかもしれない。
この「チョッペン」をやるだけで女の子にモテモテ、一躍スターの人気者になれるのかもしれない。
いずれにせよ、関わり合いにはなりたくないと思う。


繰り返すが、これは「三大奇祭」というほど変な祭りではない。迫力のある、誰が見ても普通に楽しめる祭りなのだ。
それでもこの「日本トンデモ祭り」で取り上げるのは、ここに「奇祭」というものが抱える問題点が凝縮されているからだ。

僕は実際に見たのだが、日本三大奇祭のひとつ「吉田の火祭」も、京都三大奇祭のひとつ「やすらい祭り」も、それほど変な祭りではない。
吉田の火祭は、巨大な松明を一晩中燃やすだけ、やすらい祭りは、髪の毛を赤やら紫に染めた少年たちが踊りまくるだけだ。
それなのに、なぜこういった祭りが、かつては「三大奇祭」と呼ばれていたのだろうか。

それは、今と昔とでは、「奇妙」という概念が違うからだ。
かつては、夜はいつも真っ暗だった。
だから、「鞍馬の火祭」のように、一晩中明るいというだけで異常だったのだ。
「闇」というものを忘れ、コンビニやらネオンサインなど、夜でも明るいということに馴らされている僕らには、なかなか理解できない感覚である。

もうひとつは、祭りの内容自体が変わったこと。
明治時代、日本政府は「盆踊り禁止令」というのを出している。
これは、当時は盆踊りというのは要するに「乱交」を意味し、それがあまりに目に余ったので、明治政府が風紀を引き締めるために禁止にまわったのだ。

この「鞍馬の火祭」にも、かつては相当な不品行があったと僕は推測する。
一晩中ふんどし姿の男が、松明を担いで歩くだけというだけで、この祭りが終るわけがない。
炎は人間の心を燃やし、熱くする。
僕は、松明の下で、色々なお楽しみや、性の解放が行われたと考えている。


現地は、とんでもない山奥である。
近くには、「丑の刻参り」で有名な貴船神社が。
鞍馬駅の前には、いきなりどお〜んと巨大な鞍馬天狗の像が。
ほとんど現実を超越しているような場所である。

現在はなんとか電車で行けるが、かつてはそんなものはなかったので、近づくだけでも大変だったろう(だからこそ、牛若丸に兵法を授ける鞍馬天狗などという神秘的な伝説が生まれる)
その近寄りがたさが、なおさらこの祭りの神話化・「奇祭」化に拍車をかけたに違いない。


いや、現在でも、この鞍馬までたどり着くのは、大変なのである。
祭り当日は、交通規制がかけられ、車は鞍馬にいっさい入れない。
電車で行くしかないが、それが単線で30分に一本しかない。
しかもわずか二両編成なので、乗れない人が大量に積み残されて待っている。
一日に数万人の人出があるので、帰りなどは、下手したら電車に乗るのに二時間は待たされる。


「そんなに帰るのが大変なら、無理せずに現地で泊ればいいじゃないか……」
と言う賢明な方もおられるかもしれないが、そもそもこの宿がなかなか取れないのである。
なんと、祭りの一年前に、宿泊者をくじ引きで決めるというのだ。それほどの人気なのだ。
素人やカタギの人は、泊るのはまず無理と考えていい。
ほとんど「神秘」の、幻の宿だ。

見るのもラッシュ時の新宿駅なみの混雑の中で見、帰りもやはりラッシュ時の山手線なみの電車で帰る、僕はこれほど肉体的に大変な祭りを経験したことがない。
そういう意味で、この祭りは確かに「奇祭」と言えるのかもしれない。


●叡山電鉄鞍馬線鞍馬駅下車、徒歩6分

★私と一緒に取材に行った京都インターネットテレビの唐津正樹さんの撮影した映像が公開されています。
京都インターネットテレビの「京都カレンダー」、10月22日の「鞍馬の火祭」よりお入りください。