ラオスの女性は美しいか?    

 

                             

 

 

 東南アジアを、奇妙な噂が渦巻いていた。僕はその噂の奇怪さに足を取られ、ベトナム=ラオス国境の混沌の中で動けなくなっていたのだった。このまま、ラオスに入国して大丈夫だろうか?そこで、僕を何が待ち受けているのだろうか?僕は、人間でいられるだろうか?おお……

 国境で僕の足を奪っていた奇怪な噂、それは、

「ラオスの女性はあんまりきれいじゃない」

 というのだった。

 アホらしい、と言うなかれ。健康的(?)な男にとっては、これでも大問題なのである。

 人間はなんで旅をするのか。そんな七面倒なことは分からないけど、一つだけ言えることがある。それは、ステキな女性との出会いがなければ、旅はおもしろくなくなる、ということだ。

 某国を旅していたときのこと。そこには、女の姿はなかった。いや、どこかにいるらしいのだが、僕には見つけられなかった。代わって僕を歓迎してくれたのは、もっさい髭面の男たちだった。それはそれで嬉しいのだけど、僕の心は乾いた東京砂漠になって、街から街へとさまよい歩いたのだった。僕は傷ついた心を抱えて、その国を後にした。かように旅の女性問題は、奥が深い。

 別にイイことや、いけないことを期待してる訳じゃないんだ。たぶん。そうじゃなくて、街中でのちょっとしたふれあい、目と目のやりとり、言葉のかわしあいが重要なのだ。それだけで、哀れな旅行者は、幸せな気持になれる。それだけで、豊かな気分になれる。バカバカしいけど、旅行者なんて、単純な生き物かもしれない。

 そう考えると、「ラオスの女性はあまりきれいじゃない」という奇怪な噂は、少なくとも野郎パッカーには重大なことだった。なにしろ聞くところによると、「顔はホームベースみたいに大きく、鼻は低い」らしい。ちょっと想像を絶するけど、そう言われているから仕方ない。     

この手の話は、今まで旅をしてきたカンボジア、ベトナムでも聞いた。東南アジアでは一番美人が多いと評判のベトナムを旅していた僕は、

「ほお、そういうこともあるのか……」

 と、まるでひとごとのように333ビールを飲んだりしていたのだが、いざラオス国境まで来てしまうと、緊張してしまうのだった。僕は、生きて帰れるだろうか?恐怖がひたひたと押し寄せてくる……

 などということを言いながらも、僕はさっそうとしたステップで、ヘトナム=ラオス国境線上に立ったのだった。何しろ、ラオスのビザはベトナムで取って、60ドル近くしたのだ。ここで臆して、引き返すわけにはいかないのだった。   

 むすっとした表情の、イミグレーションの男性職員にパスポートを預け、スタンプを押してもらう。次は銀行だ。まずは、ラオスのお金(キップ)に両替してもらわなきゃ。僕は隣にある銀行ブースに歩み寄った。 

そのときだった---僕をあの「戦慄」が襲ったのは。

 僕はあのときの衝撃を、一生忘れないだろう。

 

 僕はラオス・イミグレーションの銀行ブースの前で、卒倒しそうになっていた。正直言って、ラオス観光局の意図を疑った。次に、僕自身の目も疑わざるをえなかった。                   

 銀行には、男が一人、女が一人働いていた。つまり、ここにいる女性こそが、僕がラオスに入って初めて見るラオス女性なのだった。

 その、初めてのラオス女性が、あの典型的な「ラオス美人」だとは! 「ラオス美人」とは何かなんて、繰り返して言いたくない。これでも本当は、女性に対しては遠慮深いのですよ。先程言った、東南アジアの奇怪な噂で言われる、「顔はホームベースみたいに大きく、鼻は低い」という人だ。そしてその人こそ、今僕の目の前で黙々とドルの両替をしてくれている女性なのだった。

 おお……僕は天を仰いだ。なんとなく、早くもラオス旅行の前に暗雲が立ち込めているような気がしたのだった。          

 それにしても分からないのが、ラオス観光局の意図だ。この〃国境〃というビビッドな地帯に、典型的なラオス女性を設置するというのは、単なる偶然だろうか。それとも、何か素晴らしい意図があるのだろうか。

 例えば、飛行機に乗る。インド系の航空会社なら、すでにスチュワーデスがサリーで迎えてくれる。飛行機の中はすでに外国で、早くもインド気分を味わってほしい……という配慮からだ。

 ラオス政府もそれを見習って、わざわざ国境地帯に彼女を配置した、ということは言えるかもしれない。それはともかく、あんまり人を驚かせないでほしいものだ。

 この国境銀行の女性の仕事ぶりは、まじめだった。彼女はこの辺りのラオス人の流儀で、あまり目を合わせず静かに顔を伏せたまま、誠実にキップヘの両替をしてくれた。ワイロも取らなかった。僕はなんとなく「ありがとよ」という気分になっていた。           

 僕はバスに乗った。そしてこの混沌とした、戦慄の国境を後にしていったのである。

                                           

 さて、僕を乗せたバスは、ラオスに入っていった。このあたりから、ガラリと雰囲気が変わってしまう。ここからは、前節で展開した、旅人の愚かな偏見に対する、贖罪の章になるだろう。

 バスは舗装していない道路をホコリをあげて進み、一軒の食堂の前に止まった。ここらあたりで、ドライブ・イン休憩しようという算段だ。〃ドライブ・イン〃というわりには、単なる一軒の食堂ではあるのだけど。                                           

 僕が食堂に入ると、出て来たのは涼しげな目をしたお姉さんだった。 僕は、胸がときめいた。                      

 彼女は、前述したように、ここら辺のラオス人の流儀で、目を伏せたまま静かに応待してくれるのだが、なんとなく〃中山美穂〃ちゃんに似ていた。

 いや、中山美穂よりきれいだ、と言ってもいいだろう。       

 彼女は、大きく美しい目をしていた。その美しい目を伏せながら、言葉の通じない僕の言うことを一生懸命聞き、魚のスープとご飯を持ってきてくれた。

 食べながら、僕は窓から外を見ていた。すると、天秤棒をかついだ少女が、フランスパンを売りに来た。

 彼女は玄関あたりにやってくると、ふうっと一息ついて天秤棒を降ろした。そして例によって涼しげな目をしたまま、何を売り込む訳でもなく、静かに僕の前に佇み続けるのだった。

 ベトナムとは全然違うテンションの彼女たちを見ながら、早くも僕はラオス女性への先入観が揺らぎ始めるのを感じていた。

 ふたたびバスに乗る。今度は、何かの市場の前に止まった。すると、いっせいに物売りの女の子たちが乗りこんできて、バスは占拠されてしまった。そして、自分の売り物を目の前に出して、いっせいに歌い始めるのだった(ラオスの言葉には、六つの声調がある。だから、このように売り文句を言うときは、時には歌っているように聞こえることがあるのだ)。

 僕が見つめていると、一人のパイナップル売りの女の子が、

「どお?」

 という感じで、パイナップルをグッと突き出してきた。

 僕はそれを見ながら、なぜだか知らないけど、声をたてて笑ってしまった。

 それは、うれしかったのかもしれない。

 ラオスに入り、ラオス人と接していくにつれて、奇妙な先入観が崩れていくのが楽しかったのかもしれない。

 

 僕のバスはサワンナケートという南部ラオスの街につき、しばらく僕はそこを根城にしていたのだった。僕はそのころ、すでにラオスをいくつか見ていたので、もはや東南アジアを渦巻く奇怪な噂に惑わされることもなかった。

 僕がひいきにしていたのは、コピー屋のお姉さんだった。そこのお姉さんは美人で、親しみやすい人だった。おかげで僕は、意味もなくこの店にコピーしてもらいに行くのだった。旅行中、コピーするべきものなんてそんなにないはずなのに……。

 ルアンプラバン。このラオス北部の古都では、早朝に僧たちの托鉢が行われる。朝六時、朝靄の中で僧侶たちは動き出す。オレンジ色の法衣を着込んだ僧侶の列、それを街角で待ち受ける、優雅にシン(巻きスカート)を着こなした女性たち……信仰を持たない人ながらも、なんとなく「いいなあ」と思ったものだ。

 だいたい、ラオスは六十以上の民族が住む多民族国家なのである。だから、〃典型的ラオス女性〃なんて、そう簡単にいるわけがないのだ。きっと、ラオス女性に振られた男の旅行者が、デマを振りまいていたに違いない。これだから、旅行者の噂話なんてあてにならない。

 そして。僕はそのとき、ルアンプラバンの、メコン川ほとりの屋台にいた。メコンの川面を眺めながら、ラオスの有名なビール〃ビヤラオ〃を飲んでいると、その屋台で知り合ったアメリカ人旅行者が、「ラオスの女性をどう思う?」と聞いてきた。

 僕はメコンを渡る風を頬に感じながら、

「いやあ……ラオスの女性も捨てたもんじゃないねえ……」

 こう言って、手にしていたビヤラオをグッと飲みほした。

 それは、贖罪のビールだったと思う。

 旅人の愚かな先入観を洗い流す、贖罪のビールだったのだ。

 

 (『のまど』2000年旅物語賞 優秀賞受賞作品)