コートク的生活       過去の作品
★テレポーテーション (5/25)


突然、自分の心が、別の場所に移動してしまうことはないだろうか。
「テレポーテーション」だ。

僕は、ときどきある。
例えば、街で車の排気ガスの臭いを嗅いだとき。

その時、僕の心と体は突如として連れ去られ、いつの間にか、タイのチェンマイの夜の街に一人降り立っているのだ。
トゥクトゥクの排気ガスの臭い。それが僕には、強烈に東南アジアの暑い夜を思い出させるファクターになっているようだ。

今日も、こういうことがあった。
レストランでお茶を飲んでいると、隣のテーブルに料理が運ばれてきた。パスタだった。
そのニンニクの臭いを嗅いだとき、またしても僕の心は連れ去られ、喧騒渦巻くバンコクの屋台街に、ぽつんと立っているのだった。

まるでデジャヴのような、神秘的な体験だった。



★スターバックスな憂鬱 (5/20)



最近、スターバックスに行くと、思わず「カモミール」を頼んでしまう。
なぜだろう。

別に、特においしいわけではないんだ、スタバのメニューの中でも。
お湯の中に、一片のカモミールのティー・バッグが、ぷかぷか浮いているだけである。

しかもショートサイズがなく、トールサイズ以上しかない。290円する。
こんなにカモミールをがぶ飲みする人がいるとは思えないのだが。

しかし、なんとなく「カモミール」を頼んでしまう。
人生に疲れているのだろうか。

などということを考えながら、今日は池袋のスタバで、一人校正作業をしていた。
僕は、閉所恐怖症なのだ。




★「人に勝つより自分に勝て」 (3/23)


「人に勝つより自分に勝て」という言葉があるが、あれ、どうだろう。
「相撲は自分との戦いです。どすこい」
と力んで言ってみる力士もいるが、何かおかしくないだろうか。以前から疑問だった。

「自分に勝った人」というのは、実は「自分が負けている人」じゃないだろうか。

だってそうだろう。
「自分に勝った」のだから、向こうの「自分」は負けているはずである。
つまり、「自分に勝った人」は自分が負けた敗者であり、ハルウララのような人間なのだ。

こんな訳の分らない言葉より、オスカー・ワイルドの言葉のほうがはるかに説得力があるし、身にも染みる。こういう言葉だ。

「誘惑から逃れる唯一の方法、それは誘惑に屈することである」



★おばばの歌 (3/18)


埼玉県の「どろいんきょ」という祭りについて調べているうちに、「おばばの唄」という唄に出会った。

これが、なかなかの歌なのである。
ものすごく露骨で卑猥な歌なのだが、ウィットに富んでいて、下品さを無理やり洒落でごまかし、ねじ伏せたような作品なのだ。
泥臭いが、パリのエスプリすら感じさせる唄である。
ちょうど、イヴ・モンタンか松崎しげるにでも歌わせたらぴったりだろう。
名作なので、ここに少し引用しておく。

 娘はなー ははよおい
 十七 はちゃー させごろしごろよ(アラヨイトコショ)
 親もさせたがる やんでなー 針仕事よ

 ほれたあなー ははよおい
 ほれたあよー 川端柳は(アラヨイトコショ)
 水の流れで やんでなー 根が掘れたよ

 いやだなー ははよおい
 いやだとをー 畠の芋はよ(アラヨイトコショ)
 かぶりふりふり やんでなー 子があーできたよ 




★個人情報の値段 (2/29)

ヤフーBBの個人情報が460万人分流出したらしいが、これに対するお詫びがなんと、「500円分の商品券」だったらしい。
そうか、人間の個人情報とは、しょせん500円程度か。これでよく恐喝するもんだ。

しかも、これはヤフーBBでしか通用しない商品券だから、日本円にするともっと価値は低くなる。
せいぜい2-300円だろう。
デフレの日本にしても、ちょっとバーゲンすぎる。



★ オンリーワンにならなくていい (2/3)
ハルウララという馬が人気のようだ。
こいつは、100回くらい負け続けているくせに、逆に負けているからこそ人気がある。
今の日本の、閉塞した、しょぼくれた気分を象徴しているようだ。

そういえば、
「ナンバーワンにならなくていい、オンリーワンになれ」
といった歌もあった。

しかし、残酷なことがある。
ほとんどの人間はナンバーワンではなく、そしてオンリーワンですらないのである。
ほとんどの人は、明日から代替可能なのだ。
多くの人は、今日死んでも、明日から世界は何事もなかったかのように廻っていく。

オンリーワンになるには、とてつもないパワーと情熱を必要とするのである。



★英語ページを導入 (1/27)

突然、英語ページを導入する。
まずは著作紹介の『トラークル』の部分だけ。

前から考えていたのである。
『トラークル』は、初めから世界的な内容だったのだ。
当時の日本の大学教授が、『トラークル』を理解できなかったのは、当然だった。
彼らには100年早すぎたのである。

そもそも、「芸術」と「麻薬」という、美しい二人のあばずれ姉妹たちを極限まで近づけた作品を、僕は知らない。
そして、二人を愛しあわせた作品も、ほかにない。
おそらく、これが世界で最初の作品だったと思う。
そう豪語して構わないと思う。

だいたい僕は、初めから「世界」を念頭に、あの作品を書いていたのだ。
テーマ自体が日本のものではないので、当然である。
最初から英語かドイツ語に翻訳されることを想定して、書いていたのだ。


というわけで、未完成ながらも英語ページを導入する。
はじめは翻訳エンジンで機械的に翻訳したのだが、英語があまりできない僕でも分るくらいひどい出来だったので、分るところ、面倒でないところは修正を加えた。
それでも変な英語だと思うが、ないよりましである。

『トラークル』は、初めから、英語かドイツ語に訳されるべき作品だったのだ。
そのことを夢想しながら、英語ページを付け加えておく。
そのうち、「奇祭」のページも翻訳したいと思っている。
僕より英語の出来る方(つまりほとんどの方)、手伝っていただけたらうれしいです。


★ シベリウスの踊り (1/25)

「関東にはどれほど踊りの祭りがあるか」というのを検索していた。
高円寺阿波踊り、浅草サンバカーニバル、よさこいソーラン節などいろいろ出てくる中に、突然、
「シベリウス交響曲第二番」
というのが出てきて驚いた。

いったい何なんだとよく見てみると、要するに、シベリウスのコンサートの曲目の中に、「韃靼人の踊り」があったという、それだけのことだったのだ。
それだけだが、意表は突かれた。
シベリウスも、あの陰気な顔で、踊りを踊っていたのだろうか。



★ 新年の挨拶 (1/5)

みなさん、あけましておめでとうございます。

ところで、関東の祭りのガイドブックを出すという話をしていたら、結構な反響があった。
中でも多かったのが、
「独創的でオリジナリティに溢れる内容にしてね〜」
というものだった。

自分に何を期待されているのか不安になってしまうが、「独創性」というのは、自分には決して見えないものだ。
それは自分の後頭部と同じで、他人だけに見えて、本人には絶対に分らないのだ。
鏡を使えば見れる、という突っ込みはなしである。
そんな鏡は、この世に存在しない。
あっても、本人には決して手に入らないものなのだ。

とまあ、そういう難しい話はともかく、がんばります。今年もよろしく。